ブルースリー

『死亡遊戯』について

史上最強と言われたブルースリー、その大ヒット作が「燃えよドラゴン」等、主演作が4作品有ります。その中で見せていた超人的とも言える必殺技や、華麗な舞は世界中の人を魅了して虜にしたのだと思います。そんなブルースリーは志半ばにして、突然この世を去らなければならなかったのです。その死から4年が経った頃、「死亡遊戯」と言う映画でブルースリーが復活したのです。ブルースリーファンにとっては待ちに待った映画になりました。

 

この映画が製作されたのはまだブルースリーが生きている頃、「ドラゴンへの道」の製作中でローマから帰って来た1972年に着手し始めたと言います。それもブルースリーがプロデューサーや監督を兼務していたと言いますから、その思い入れは相当な物だったと思います。気合も凄いですし、型も美しかったと思います。きっと完璧なブルースリー映画を作ろうとしていたのかもしれません。その中で訪れた突然の死、まさに情熱が燃え尽きたかの様な死と言えるかもしれませんね。天才だからこその宿命・・・。そう考えると寂しいですが、死後映画で復活したブルースリーに人々は熱狂したのは事実です。

 

彼の死後5年、ベールに閉ざされていた「死亡遊戯」と言う超大作映画の全貌が、全世界公開の前に香港で公開され話題をさらったと言います。共演者の豪華者、監督も大物、凄かった様です。この期待の大きさ、彼の偉大さは本当に凄い物で、死が物凄く惜しまれる作品になったと思うのです。

ブルースリーの最後の1日

早すぎる死を遂げたブルースリー。その最後の1日を真偽は定かじゃありませんが有る見聞を基に追ってみたいと思います。

 

死亡したのは1973年7月20日、毎朝1時間は行うと言うトレーニングを目眩がしたらしく10分程で中止しました。戻って来ると、自室で『死亡遊戯』のシナリオを見直し手直しをしました。昼食を妻ととった後、妻は友人と会う為に外出をし、それをブルースリーは見送りました。午後、仕事仲間と打ち合わせをして『死亡遊戯』に出演予定の女優ベティ・ティンペイの自宅へ打ち合わせの為に向かいました。この女優、実はブルースリーの愛人であったとも言われていました。打ち合わせをし、夜に会合予定である日本料理店に向かおうとした矢先、ブルースリーが頭痛を訴え、ティンペイから頭痛薬を貰って薬を飲み、ベッドで休んでいたと言います。一緒にティンペイの部屋に行った仕事仲間は会合に向かう為、ティンペイをブルースリーに付き添わせて先に会合先に行ったそうです。しかし、21時を過ぎてもブルースリーは目を覚まさなかったので慌てたティンペイは日本料理店にいる仕事仲間レイモンドに連絡をします。レイモンドはティ
ンペイの部屋に行ったが意識はなく、救急車を呼びました。呼吸は無かったが、瞳孔は開いてなかったので病院へ急いで運ばれたが、着いた時には既に亡くなっていたそうです。検死結果は頭痛薬の成分が身体に過剰に反応し、脳浮腫を起こし死亡に至ったと言う事になったそうです。葬儀は香港とシアトルで盛大に行われたそうです。